■ 3月27日(水) 千代田線・小田急線 沿線DAN歩第3回 町屋〜北千住 案内:大島房太郎さん
今日はコートの襟元を細めて暖をとりながらのDAN歩となった。 町屋駅から都電荒川線沿いに暫く歩き、、最初の訪問先である「ぬりえ美術館」を訪ねる。 目がくりくりとした愛らしい可愛い塗り絵人形の絵が飾られており、昭和10年前後に生まれたご夫人方には懐かしい思い出を呼び戻されたのではないですか。 館長から「ぬり絵人形」の説明を受けた後、荒川線に乗り、荒川区役所前下車、荒川スポーツセンタに向う。此処は井上省三が設立した千住製絨所があった場所で、後にプロ野球の大毎オリオンズの本拠地であった東京球場の跡地でもあった所である。 此処から日光街道沿いの円通寺へ。 彰義隊の墓や上野戦争で受けたナマ生しい弾痕の跡のある旧上野の黒門が境内の保存されていた。 素盞雄神社訪ねる。境内にはいたるところにお雛様が飾られていて楽しく観賞させて貰った。 荒川ふるさと館には荒川の古代から現代に至る文化・歴史物が展示されていて、在りし日の長屋風景などを何とも云いようのない、懐かし思いで見る事が出来た。 この後、隅田川に架かる千住大橋を渡り河川に下りる手前に奥の細道行程図と描かれた大きな横看板が掲げられてあり、その前で芭蕉の旅立ちについて大島氏から説明を受け、川原に下り。 「せんじゅこはし」を亘り、江戸時代将軍が利用したといわれる「御上がり場」から上に上がり、足立中央卸市場の横を通り当時と同じ道幅5間の旧日光街道に面する千住河原町のヤッチャバ(青果市場)にはいる。 やっちゃば・・・そのせりのかけ声の「ヤッチャ〜」から、ヤッチャバの名が起こったといわれている。 そこかしこに当時の生業に関する説明書の看板架かり、観光客にはあり難い。 旧日光街道を更に進み墨堤通りを左折し日光街道にぶつかる角に千葉灸治院跡と看板が立っている。 竜馬に一目ぼれしたのが、定吉の二女佐那で、彼女の恋は成就せず、一生独身で過ごしたそうである。 そこから高札場、一里塚跡、千住宿の中心であったらしく本陣跡、貫目改所跡、検番横丁などの標識が建ち並び、その賑わいの様子が伺え知れる。 旧道から少し入ったところにある森鴎外の屋敷跡の寄り、金蔵寺に向う。 旧道を更に進み荒川にぶつかる手前の道を右折ると広々とした駐車場のある名倉院の前に出る。 江戸時代以来骨接ぎといえば名倉として関東一円に知られた医療機関であったそうである。その後、氷川神社により、千住ラジオマでラジオ体操をし、北千住駅で散会した。 大島さんご苦労様でした。       記金光