■ 10月5日 江戸・東京再発見 感動! 川船の旅
今日は、東京中心部の橋を船に乗って探訪。目玉は小名木川の扇橋閘門(こうもん)。地盤沈下した地帯にある運河の水位を調整し、荒川に出られるようにしたパナマ運河と同じ仕組みだそうです。小規模ですが、それでも長さ120m、巾15mもあり、丁度干潮時ということで、高低差は1.5mしかありませんでしたが、あっという間の水位の上下を体験し満足でした。
この時船は我々の一艘のみ、この重い扉を、行きと帰りに、前と後ろの2カ所上下させていただいたのですから申訳ないような気持ちになりました。(船はここでUターン)。水は水門経由で全て移動するのでなく、横もバイパスしているらしく、水位が上がる時水面下からの吹き出しもありました。なお、錆防止のため、上げられた水門には多量の水道水が吹き付けられていました
神田界隈 神田川でもお茶の水駅周辺ではその両岸の崖の高さが凄い。これは天然でなく、江戸時代の初めに神田台を切り崩し、掘り下げて水路にしたのだというから恐れ入る。写真の鉄橋は総武中央線の秋葉原とお茶の水間、近くに丸の内線の鉄橋、JR秋葉原ー神田間などの鉄橋もある。都心でこれほど河川上の長い鉄橋が集中するところは珍しいのではないか。お茶の水駅は工事中で、聖橋の全景が見られず残念。聖橋の先に低くある橋が丸の内線。
水道橋 先の左手は、分水路の入口となっていて、平行している外堀通りの下を流して増水に備えているという。下流の昌平橋の先で合流。水道橋は江戸初期、近くの大寺院の名前をとって吉祥寺橋と言われたが、明暦の大火で寺も橋も焼失、住人は今の武蔵野の吉祥寺へ、寺は駒込へ移転。この入口の上あたりに神田上水の掛樋が通った関係で、架け替えた橋は、水道橋と言われるようになったようである。
一ツ橋御門の石垣ですが、橋の上からも確認できます。 一ツ橋 橋自体は大正14年に掛け替えられたものだが、この付近には江戸がそのまま残っていると言う。この左手(皇居側)には一ツ橋御門の石垣が堂々と見られるし、橋の向こうに見える石垣は江戸時代のものだそうだ。
旧外堀 日本銀行近くの常磐橋は明治10年架橋の都内では珍しいと言われる石橋、3.11で被災し、以来通行どころか近寄るのも禁止になっていたが未だ工事中で、船はやっとのことでくぐり抜け、乗客から拍手が起こった。
御存知日本橋です。一見芸術的ですが、何と言ってもあの素晴らしい日本橋が閉じ込められていて痛々しい。東京オリンピックと共に蓋をされてしまったわけですが、今度の東京オリンピックの時には青空に向かって解放された美しい姿で登場して欲しい。

浅草橋スタートして神田川、日本橋川、小名木川、隅田川を回る川面からいつも歩く川沿い、橋やや建物を見るのは楽しい体験でした。記栗山