■ 5月23日(水) 京王線・三田線 沿線DAN歩 第7回 案内:金光秀尚さん
 片倉駅前から絹の道を辿るウォーキングを開始。第一の訪問先である片倉城跡公園にたどり着いた。 此処はカタクリの花が有名で2月下旬頃尋ねると見事に咲き誇るカタクリを楽しむ事が出来る。 更にさくら、つつじ、菖蒲と春先に咲く花々を楽しめるところだ。 公園を一周し、兵衛川にかかる釜貫橋を渡り左側の浜街道(絹の道)を進むと、左側に「慈眼寺入り口」と出ている。 この寺は禅寺で室町時代の中ごろ、戦国の始まる時期に小さな阿弥陀堂からはじまったそうで、かなり古い寺である。このあたりは釜貫谷戸と呼ばれた多摩丘陵地帯の谷だった所で、今は住宅街に変貌しその面影は無い。参拝を終え、鑓水峠へ通じる坂道をしばらく登ると広い道に出る。この道は野猿道路に繋がる間道で、絹の道はこの道路を渡り片倉小学校の左側を鑓水峠方面に伸びているが、交差点を左折して石橋入緑地を抜け西部北野団地内を通って白山神社に向う。武蔵坊弁慶と血縁を持つ弁智らが奉納したと伝えられる経典一式がここから土出し、天台宗の僧侶の活動を知る重要な資料となっている。昼食後、神社を参詣して、大塚山公園に向う。 ここから、昔の面影を残す絹の道が鑓水三叉路まで約2kmにわったて残されている。 絹の道は八王子から横浜港までの40kmの道で、明治の初期に生糸を運ぶために頻用された道である。 絹の古道が終わりさらに進むと左側に鑓水の代表的な商人である八木下要右衛門の屋敷地跡地に建てられた絹の道資料館がある。館内には、絹の道や鑓水商人のこと、当時の鑓水の様子、養蚕について詳しい解説、展示がり興味深く見学した。 鑓水の町は当時の絹の流通センター的役割を演じ、巨大な富を得たが、1908年に横浜鉄道が開通し、その役割を終えるとともに鑓水地域も衰退し、絹大商人たちも没落していった。 最後に訪れた茅葺の小泉屋敷は、昔の養蚕農家の面影を残す入母屋造りで明治11年の造りと表の説明版に書かれていた。ここでバスで南大沢駅に向う組と京王多摩境駅に向う組とに分かれ、それぞれ帰途に着いた。 皆さんお疲れ様でした 記金光