■ 9月16日(水)京浜東北線沿線DAN歩 第11回 鶴見〜横浜 案内:北原正史
鶴見駅西口に21人が集結。  早速、初めの訪問先である総持寺へ向かう。曹洞宗の大本山の寺院だけあり敷地面積50万uを有し、境内には多くの堂宇がり、また鶴見大学などの学校施設もある。 ここには日本の大俳優である石原裕次郎の墓がある。 綺麗に清掃されていて、素敵な献花で飾らえた墓をお参りして、また鶴見駅に向い、鶴見線に乗り海芝浦駅で電車を降りた。 目の前には広々とした大黒運河が流れ、前方には鶴見「つばさ橋」や大桟橋が見え、素晴らしい眺望が広がっていた。  駅には東芝工場の敷地を利用した海芝公園が整備されており、ここから眺める夜景は素晴らしいとのことで、地域住民の憩いの場所にもなっているそうである。 東芝社員以外の人は駅構外に出られないので驚いた。 東京湾の素晴らしい眺望を満喫して、鶴見線の国道駅で降りる。この駅は1949年(昭和24年)の黒澤明作品『野良犬』をはじめしばしば映画・ドラマのロケ地として使用された。高架下が異様なムードを醸し出す駅として、紹介されることもある。ここから旧東海道に入り街道をしばらく歩くと生麦事件の現場に着いた。この前で北原氏から事細かに事件の経緯の説明を受ける。異国の慣習、風習、礼儀等々の不理解が招いた不幸な事件であったといえる。 午後は、浅野総一郎の銅像が立つ浅野学園に向かう。 渋沢栄一の支援を受け浅野財閥を作り上げた人で、「京浜工業地帯の父」とも「明治のセメント王」とも呼ばれた。 新子安駅から電車にのり東神奈川駅で下車、金蔵院の壁に沿って道を右に曲がりしばらく進むと、庶民に幕府の法渡、掟を徹底させるために宿場に設置されていた高札場が当時の原型を残した形で展示されていた。 そのわきを通り過ぎ神奈川区民センターのジオラマを観て、浦島寺ともよばれている慶雲寺の前を通る。 門の脇に旧フランス領事館跡と書かれた標識が立っていた。成仏寺は横浜開港時にアメリカ人宣教師の宿舎として使われ、在日外国人のための日本語教室が開かれていたそうである。 さらに東海道を進み、ヘボン式ローマ字の考案者として知られるヘボン博士が施療所を開いた言われる宗興寺を訪ねる。 外見は洋館風で日本古来の建て方とは違っており、門柱に寺の名前がなければ曹洞宗の寺に見えなかった。 さらに進み滝ノ川の少し手前の国道の右側に神奈川本陣跡とかかれた標識が立っており、周りは寺のほかはあまり残っておらず、宿場の面影もなかった。 昔は相模の国や武蔵の国への物資の経由地として栄えたが、横浜港が開港されるとともに、商業の中心が横浜へと移っていた。  本陣跡を過ぎて宮前商店街に入り、しばらく歩くと州ア大神がある。 大神の参道が第一京浜国道にぶつかるあたりに船着き場があり、そこが横浜港と神奈川宿を結ぶ渡船場としてにぎわった。  ここから少し歩くと国道第一京浜国道に出る。 青木橋交差点の岡の上に旧アメリカ領事館があった本覚寺がある。旧東海道進み、広重の浮世絵にも書かれ、竜馬の妻おりょうが仲居として働いた「田中屋」があり、当時の面影を残していた。 さらに坂を上ると神奈川台の関門跡がある。 ここから坂を下り横浜駅西口へ向い、解散となった。 北原さんご苦労様でした。 大変盛りだくさんで、有難うございます。(記金光)