■ 3月12日 中央線・有楽町線 沿線DAN歩 第2回 荻窪駅〜三鷹駅 案内:中澤始さん
天候:晴 参加:36名
今週初頭までは底冷えのする寒い日が続いたが、今日はからりと晴れわる4月上旬の日和なった。 暖かくなるとの予報のお蔭か、今日は36名と多くの方々が参加された。本日のDAN歩は中澤さんの案内で昔は東京の別荘地とし栄え高級住宅地としての面影を残している地域である。 荻窪駅をスタート、大きな立派な武家屋敷の門が現れた。 十一第将軍家斉が田中家に作らせた長屋門で、門の前に「明治天皇小休憩所跡」と書かれた標識が建てられていた。さらに進むと右側に、西欧風のレトロな建物「西郊ロッジング」が目に入った。 当時は下宿として使われていた。 左折し進むと住宅地の中に二股大根のような形をした碑が建っていた。 原水爆運動の記念碑「オーロラの碑」だそうだ。 近くの杉並公園内にガンジーの像があった。隣には、「七つの大罪」というガンジーの言葉の碑がたっていた。 この公園からほど近くに太田黒公園がある。 音楽評論家大田黒元雄の自邸を整備し、1981年(昭和56年)10月1日に開園した。 正門から延びるイチョウ並木はの素晴らしさにびっくりしたが、さらに進み庭園にはいると、自然の地を生かし整然と整備された素晴らしい日本式回遊庭園の全容が姿を現した。 見事に工夫をこらした日本の造形美にただただ感嘆し公園を後にして次の角川公園に向かった。 角川書店の創立者である角川源義の自邸を整備し、2009年(平成21年)5月10日に開園したそうで、近代数寄屋造りの住宅が残されている。 公園を過ぎ道なりに進むと右側に大きな雑草の生い茂る空地が出てきた。 囲いのところに「荻外荘跡」と標識があった。 もとは近衛秀麿の別荘があった所で、彼の政治的活動の場として使われた場所でもある。 戦後、彼は戦争決定者として戦犯容疑にかけられ、ここで自殺している。  「川南遺跡」は、杉並区の中央を流れる善福寺川周辺に広がっています。約1万2千年前(旧石器時代)の遺跡と標識に書かれていた。 与謝野公園は与謝野晶子と鉄幹夫婦が暮らした場所で、公園内には彼女の和歌を刻んだ石標が公園内の道脇に沿って埋められていた。 そのあと春日神社、慈宏寺を回り、お寺の向かいのバス停から吉祥寺行きのバスに乗り駅に向かった。吉祥寺は東京で住みたい町NO.1にランクされる人気の町だけあり、午後からは四軒寺(月窓寺、蓮乗寺、光専寺、案養寺)をそれぞれ参拝し、武蔵野八幡宮、武蔵野吉祥寺に七福神の福禄寿を祭る大法禅寺を参り、成城学園の裏門に出る。 学園内に入り、学園展示室を観賞して、次へ向かった。 武蔵野陸上競技場はかって三多摩唯一の公認競技場として各種大会が開催された。これらの施設のほとんどが、中島飛行機工場の後に造られた。武蔵野中央公園は、とても広かった。グリーンパーク遊歩道は、昭和20年代の終わりに、7万人収容の野球スタジアムが建設され武蔵境から鉄道が引かれたが、観客が集まらず数試合で取り壊され廃線跡につくられた。 バスで三鷹駅に向かう。駅前に長崎の平和記念像で知られる北村西望氏の作品である「世界連邦平和像」があった。長崎は男性でここは女性だった。また駅横に「国木田独歩の碑」があり「山林に自由存す」と武者小路実篤の筆で刻まれていた。 丁寧に説明して頂き、中澤さん本当にありがとうございました。