■ 11月14日(水)京王線・三田線沿線DAN歩 第14回 板橋区役所/志村三丁目 案内:金光秀尚さん
今回は中仙道69次の一番目の宿場町で江戸四宿のひとつであった板橋宿の名所旧跡を巡るウォーキングである。 板橋区役所前駅22名が集合。 旧中仙道の中宿商店街に入り、江戸時代馬継ぎ場として使われていた遍照寺に寄り、板橋宿本陣跡へ。本陣飯田家の屋敷跡で、敷地359坪、建坪97坪門構え玄関付きの建物とあった。 次に訪れた文殊院は本家飯田家の菩提樹であり、出世寺とも呼ばれ、境内に二大閻魔を祀る閻魔堂、板橋七福神の毘沙門天が奉安されていた。中宿本陣跡と表示した建て看板には明治天皇、和宮がご宿泊されたと説明書きがあった。 更に旧中仙道を歩くと、板橋の名の由来となった板橋がある。 石神井川に架かるこの橋は平安時代から既にこの場所に架けられて居たそうで、江戸時代のものは緩やかな太鼓橋は板張りの木製の橋で、広重や長谷川雪旦の「江戸名所図会」にも描かれている。 更に旧道を進むと右側に和宮一行も此処を避けたといわれる『縁切り榎』がある。 何時の時代からかこの下を通ると不幸になるといわれるようになり、不吉の名所となったようである。 この後、智清寺、日曜寺を周り、南蔵院まで中仙道を歩く。 この寺は吉宗将軍が鷹狩りの際に休憩に立ち寄ったと伝えられている。 現在はサクラの名所となっており、板橋十景に選ばれている。 見次公園での昼食後、板橋最古の板碑、2基一対で残り国の史跡に指定されている一理塚をまわり、 小豆公園の入り口に移築された三代目戸田橋の親柱を見学する。 また、中仙道に戻り、右折し進むと通り沿いの小さな扉を潜ると下る階段づたいに江戸風情を残す庭園へ出る。 吉宗が狩りの途中に立ち寄り「清水薬師」と命名したところである。 中仙道を渡り再度旧中仙道に入り急な清水坂をのぼり急大山道との交わる交差点の所に富士大山道道標と庚申塔がひっそりと立っており「是より富士山大山道、練馬江一里、柳沢江一里、府中江七里」とあった。 志村城跡のある熊野神社で終了。皆さんご苦労様でした。 記 金光