■ 4月17日(土) 歴史散歩「横浜その4」案内:笹倉信行氏
午前中は、映像の講座 毎回そうですがよくここまでと敬服いたしました。午後の歩いての講座 神奈川宿を過去2回歩いていますが、今回は初めての所もあり、また詳しい説明に本当に勉強になりました。笹倉先生、ありがとうございました。(北原)

今日は年2回行われるDANの会歴史散歩、開国期の横浜として、かつての神奈川宿だった。何といってもここには開国期各国の領事館が置かれた。といってもお寺が利用された。このシリーズの特徴は、散策の前に講師の笹倉さんによるレクチャーが行われることだ。単なる観光案内書の引用でなく、実に詳しく恐らく文献などにも当たっておられるのであろう。歴史的背景、街道や河川との関係など2時間近くある。各国領事館と関連して、早くから日本にきて活躍したヘボンやシモンズ、バラなどの事や背景のキリスト教諸宗派の動きまでに解説は及んだ。解説を聞いてからの見学の理解度はまるで違う。それにしても一介の宿場の名前に過ぎなかった「神奈川」が今や区の名前だけでなく県の名前までになっている。なお名前といえば、「神奈川」駅近くの陸橋の名前「青木橋」のルーツはこの辺りは青木町だったこと、その隣の「軽井沢」は信州の真似をしたのでなく、昔からの地名であることなどトレビア的収穫もあった。(栗山)

S先生の歴史散歩に参加した。今回は、S先生から「開港場の神奈川の歴史」の講義の後、京急東神奈川駅から横浜駅までの間にある各国領事館となった寺院などの旧跡を歩いて巡り、幕末期の激動の日本に思いを馳せた。
特に、1858年に日米通商修好条約を調印した外国奉行だった岩瀬忠震(ただなり)の顕彰碑が、アメリカに信頼されていた証としてアメリカ領事館だった本覚寺に掲げられていたのは印象的だった。一橋派の有力者だった岩瀬忠震は、大老井伊直弼によって作事奉行に左遷され、さらに官職、禄を奪われ永蟄居になったのは、逸材を失ったという喪失感を覚え、哀れを誘う。(林)