■ 4月5日(金) 千代田線・小田急線 沿線DAN歩 第4回 綾瀬 案内:金光秀尚さん
3日が雨のため順延され、本日なった。 前日とは打って変り素晴らしい天気になった。今日は上着が要らないほどだ。 最初の訪問先である観音寺で本日の行程についての説明を行った。 
綾瀬地区は綾瀬川と共に発展してきた肥沃な穀倉地帯で、江戸の住民の農作物を賄う役割をしていた所で、五兵衛新田と呼ばれていた。 この観音寺は新田の菩提寺として地域と共に歩んできた寺で、慶応3年3月、江戸から退却する新撰組が約半月ほど滞在したそうである。 この観音寺の直ぐ裏に綾瀬稲荷神社がある。西向きに建てられている神社は全国でも珍しいそうで、先祖が犯した罪穢を祓い、消滅を願う神社であるということである。 この神社の正面の道を50メートル程度進むと、神社の総代役を務める大室家の屋敷がある。 新撰組が来た当時のままの壮大な屋敷を構え、白壁の蔵と時計が目を引く、昔は足立区の盛んであった「晒し業」を手広く営んでいたようである。 数百年前の瓦を使った信長塀には驚いた。 ここと名古屋の熱田神社にしか無いそうである。 五兵衛橋から眺める綾瀬川は一級河川だけありにごった水がゆったり流れていた。 橋を降り、信号を渡って右折すると直ぐ左側に素晴らしい門構えの屋敷が前に飛び込んできた。 新撰組が屯所として間借りした金子家である。 此処で密かに再起を期し、同志の募集をしたどころ、たちどころに200数十名が応募してきたといわれる。 此処に19日間滞在し流山へ移動したが、何故流山へ移動したのかその真相はよく判っていないそうである。 此処では近藤勇は変名を使い「大久保大和」 土方歳三は「内藤隼人」と名乗っていた。  この後。中華料理店「平寛楼」で昼食。 東京武道館へ向う。 よく日本武道館と混同されがちですが、ここは東京都スポーツ事業団が運営し、日本武道を中心に競技活動がされている。 床面積は2000m、289畳の武道場を備えた斬新で、芸術性の高いデザインで話題を呼んだ武道館である。 この武道館から東綾瀬公園が続く。 今回は残念ながらさくらは既に散り、葉サクラしか鑑賞できなかった。 公園を通り向け綾瀬駅東口で解散。 
皆さん有難うございました。     記 金光