■ 5月19日(木) マイDAN歩 第3回『都市の中の自然が息づく芦花と烏山寺町』 案内:菅野さん
初夏を思わせるほどの快晴、今日は菅野さんの案内で都会の自然を紹介してくれるとのことで、期待をして参加した。 石仏公園を右折し、烏山川緑道に入る。左右に大きなマンションが立ちなんではいるが緑道は木々が生い茂る、緑のオアシスを形成して、新緑の香りを楽しみながらしばらく歩くと、森繁通りに突き当たる。
この付近に俳優の森繁久弥が住んでいたとのこと。さらに進むと、昔懐かしい井戸が現れた。 汲むと冷たい水が出てきた。 残念なことに「この水は飲めません」と表示されていた。 此処からちょっと歩くと、能瀬公園(自然観策園)と表示はあるが、100坪程度の囲いのある植物園としが思えない。 ふと脇になる標識を見たら「家屋跡に雰囲気を大切にしながら、庭の植物や地域由来の植物を加え船橋小路に繋げる環境・風景を作った」と説明書きがあった。「船橋小路の会」が工夫を凝らし原風景を保存し、環境に優しい景観を維持しようとしていることに感心した。 船橋小路は人一人がとおれるような細い小径で両側の花壇もよく手入れされており地域ボランティアの方々が丁寧に管理されている様子が伝わってくる。 千歳が丘高校を一回りするように作られており、住宅街として開発が進められたこの地域でよく残ったとおもう。児童公園を抜け桜の径に入る。 此処には40本以上の古いソメイヨシノが並ぶ。希望が丘公園に着いた。 入り口の正面ある人口の滝を横目に眺めながら時計台の下でひと休止し、水の補給をする。 一休みしたところで蘆花恒春公園に向う。徳富蘆花が明治40年2月27日に移り住み、恒春園と名付けて、晴耕雨読の生活を送ったとこで、当時の建物がそのまま保存されており、「不如帰」とか「自然と人生」等々彼の代表作を主筆した書斎などを見学させていた。 1.38ヘクタールと広大な広さがあり、東京都の指定史跡に指定されている。 この一帯には素晴らしい竹林が残されていて、粕谷の竹林として世田谷百景に指定されている。 この後、千歳烏山駅へ電車で行き、最後の寺町へ向う。大正12年の関東大震災後、下町(浅草・築地・本所等)で焼け出された22の寺院が集団移転したのが始まり。世田谷の小京都と呼ばれる風情がある。 幾多の有名人の墓があり、一見の価値あり。 本日は都会のど真ん中でありながら烏山川を暗渠にして車通らない緑豊かの小道が作られているのには驚いた。 本当に楽しいウォーキングでした。 菅野さん有難う 金光 記 |